259日目(12月15日):明恵上人遺跡卒塔婆

<育児日記>
 南の方で用事があって、帰りに施無畏寺があったので立ち寄ってみることにした。鎌倉時代の名僧明恵上人ゆかりのお寺で、海岸から少し高台にあって眼下には湯浅湾の眺望が広がっている。本堂をはじめお堂の多くが県指定文化財となっており、落ち着いた趣きがある。このお寺の奥の院から山道が続いていたので、いい景色が見られそうだと思ってひろたんを抱っこしたまま山登りすることにした。山道は整備されていて桜が植えられていたので、春には隠れた桜の名所になりそうだ。山道を行くこと約30分、明恵上人遺跡卒塔婆があるというので、最後の岩場を登ってみると、古い石製の卒塔婆(記念碑みたいなもの)が立っていた(西白上)。施無畏寺の背後にある白上山は、明恵上人が山篭りして修行した場所で、それを記念して名恵上人の弟子たちが木製の卒塔婆を立てたのがはじまりのようで、その後室町時代に石製に造りかえれたもので、長い間風雨に晒されながらも丈夫に立っていた。ここからは湯浅湾が眼下に一望できる。卒塔婆の奥にその山の頂上があるみたいだったので、岩場を登ってみるとさらに見事な眺望が開けた。ひろたん連れでは少ししんどかったけど、ちょうど夕日が沈む頃で、同じく明恵上人が修行した刈藻島などの島々もきれいに見えた。この西白上の明恵上人遺跡卒塔婆のさらに奥にも、東白上の明恵上人遺跡卒塔婆があるので、そこにも行ってみると、ここは少し海から離れているけど、卒塔婆の立っている崖の下には斜面に続くみかん畑が広がっていた。こういう山で修行した姿を想像すると、その過酷さが感じられる。ちなみにこの明恵上人遺跡卒塔婆はどちらも国指定の文化財(史跡)だ。明恵上人という方は、今でこそ学校でも習うことはないけど、当時は日本で一番の高僧といわれるくらいの方で(それまで日本で広まっていた華厳宗)、法然親鸞栄西道元などのように新宗派を開かなかったことで歴史を習う上での重要度が低くなっているだけらしい。また明恵上人は生涯にわたって自ら見た夢を「夢記(ゆめのき)」に書き記して、研究者の間では有名な存在だ(臨床心理学者で夢の研究でも知られる河合隼雄(元文化庁長官)「明恵 夢を生きる」に詳しい)。
 
 明恵上人遺跡卒塔婆(西白上)

 白上山(明恵上人遺跡)からの眺め

 刈藻島に沈む夕日(明恵上人遺跡から)